評論家 長谷川 教通氏 イヤホンレビュー (SE846)
今後のヘッドホン&イヤホンの音作りに決定的な影響を与える画期的なイヤホン - SE846 レビュー
初めてSE846を耳にセットし、音を出した瞬間「ハッ」とした。いままで使ってきたヘッドホンやイヤホンの聴こえ方とまったく違うではないか。ヘッドホンでもイヤホンでも、スピーカーで聴くときのような自然でクリアな定位感やステレオ感は味わえない……と半ば諦めていた。ところがSE846で聴くと「オオッ、定位が明確に出ているじゃないか」。これは凄い!
さっそくジャズピアノの清水絵里子がピアノソロと弦楽四重奏でコラボレーションした「Aftergrow」を聴く。このアルバムは192kHz/24ビットの5.0chで録音されており、2chミックスで聴いてもピアノの響きと空間表現がすばらしい。
センターにはピアノが存在感のある音像を創り、打鍵にともなって響きが空間に漂う美しさ。低音の伸びが心地よい。これがステレオ再生の醍醐味だ。弦楽器はどうだろうか。ガブリエル・リプキンのチェロでサン=サーンスのチェロ協奏曲第1番。冒頭から圧倒的なチェロのソロ。楽器の音像感やオーケストラの内声部の動きなど、スピーカーで聴くよりもむしろ明瞭だし、オーケストラのバランスやそれぞれの楽器の質感もいい。
ボーカルも聴こう。ジルデコ結成10周年アルバム「Lovely」から「リハル」。chihiRoの声の表情がとても魅力的に再現され、音像がスッと前に張り出してくる。やっぱりボーカルはこうでなくちゃ。それを包み込む空気感はスタジオライブならでは臨場感だ。
SE846には、中・高域用各1基、低域用2基という計4基の新設計ドライバーによる3ウェイ構成になっている。とくに興味深いのが低域のローパスフィルターで、75Hzから下降するように設計されているので、人間がブーミーさを感じてしまう250Hzあたりでも、いわゆる低音のカブリがなく、クリアで力強い中低域が聴ける。10枚もの精巧なステンレスのプレートを溶接して形成される音響フィルターは効果抜群だ。
新潟市にある文化ホール「りゅーとぴあ」のオルガンで「バッターリャ」。この曲では1分45秒あたりから32Hz※と半音上の34.3Hzを連打する猛烈な低音が入っていて、大型のスピーカーでも再生が難しい。さすがにイヤホンでは……と思ったのだが、スケールの大きな16フィート管の雰囲気が再現できるではないか。しかも低音のカブリがないので響きが明瞭。これは相当な実力だと思う。 ※ピアノの低音部記号下の加線二本のド(C 64Hz)のさらにオクターブ下
もう一つ、SE846で画期的な技術がある。それが交換式のノズルで、その効果がじつに興味深い。ノズルの交換で1kHz~8kHzの周波数特性を可変させることができるのだ。あらかじめ内蔵されている「バランス」の他に2種類のノズルが付属する。
周波数特性を2.5dBアップさせる「ブライト」に交換してみる。すると中高域の輝かしさが増加するだけでなく、音の飛びにスピード感が加わる。とても活気があって、音像もクリアだ。では2.5dBダウンさせる「ウォーム」にしてみよう。高域が穏やかになり、低域の弾力感や音像感もいくぶんソフトフォーカスになる。
この優しい音場感も素敵だ。ウーン、どっちがいいだろう。もう一度「バランス」に交換すると、なるほどフラットでオールマイティに使える。まずは「バランス」で聴き込むことをオススメしたい。
じつは、1kHz~8kHzの周波数帯域は、楽器の音色や響きの色彩感だけでなく、ステレオ再生の肝である定位感にも影響がある。というのも、人間がスピーカーの音を聴くとき、空気の波は聴く人の額や鼻、頬骨にぶつかり、さらに耳たぶにも当たって特有の周波数パターンを示す。ところがヘッドホンやイヤホンでは、耳穴に直接音波を入れる。だから、スピーカーと同様に考えるわけにいかないのだ。これが難しい。
おそらくSE846では何百回と試聴を繰り返して、人間の感覚にもっともフィットする特性を追求したに違いない。これを電気的に補正しようとすると、電源や回路基板などが必要になり、とても実用的なイヤホンにはならない。それをアコースティックな手法で実現した音響設計のすばらしさ。だから長時間聴いても疲れない。これはクラシック音楽ファンには嬉しい。オペラとなったら2、3時間は聴き続けることになるからだ。
SE846は、ノズルの音響設計がもたらすステレオ再生の醍醐味と、驚異的な低音再生を実現したローパスフィルターなどの画期的な技術によって、今後のヘッドホン&イヤホンの音作りに決定的な影響を与えるに違いない。イヤホンというイメージを超えて、イヤホン型のスピーカーと言ってもいいのではないだろうか。