50年の歩み:伝説のマイク - SM7Bの誕生
原点回帰
SM7の歴史は、テレビや映画スタジオ向けに設計され、1964年に発売された単一指向性ダイナミックブームマイクロホンである、SM5放送用マイクロホンから始まります。このマイクロホンは、長さ10インチ(約25センチ)以上、重さ2ポンド(約900グラム)と、かなりの大きさでした。
1960年代後半、Shureはレコーディングスタジオ、ラジオ局、ナレーション用に特別に設計された、新しいマイクロホンの開発に着手しました。
言い伝えによると、SM7の開発はShureのマイクロホンエンジニアのグループがUnidyne III SM57エレメントから始めて、それをナレーション用マイクロホンに改造していくといった手順だったそうです。
SM7マイクロホンは、1973年に登場しました。
SMラインアップの誕生
1963年、Shureプロフェッショナル製品のマーケットマネージャーであるボブ・カーは、ラジオ、テレビ、映画スタジオ向けに設計されたマイクロホンの新しいラインアップを提案しました。
SM(スタジオマイクロホン)のラインアップは、既存のマイクロホンモデルをベースにしていましたが、スタジオでの使用向けに設計された新しい機能を搭載していました。これらのマイクロホンには、テレビスタジオで使用するための暗い艶消しされた表面、3ピンオスXLRコネクター、デュアルローインピーダンスが採用されていました。オン / オフスイッチは、マイクロホンが使用中に誤ってミュートされるのを防ぐため、設計の時点で排除されたかまたは金属プレートの後ろに隠されていました。
1964年、SM5、SM33、SM50、SM56、SM76を含む、SMラインアップが発売されました。
1965年にはSM57が追加され、その翌年には SM58®が追加されました。 これらのマイクロホンの中で、特にSM57とSM58®はライブパフォーマンスのステージで使用されるようになり、現在まで優位な地位を占めています。
1973年にラインアップに追加されたSM7は、発売後すぐにスタジオマイクロホンとしての威力を発揮しました。
ジェリー・プライスと意匠特許
マイクロホンの開発エンジニアであるジェリー・プライス氏は、SM7の印象的で認知度の高いインダストリアルデザインの功績を称えられています。従来は開発エンジニアがマイクロホン内部のトランスデューサーを開発し、外装はデザインエンジニアか外部の設計事務所が担当するのが通例だったのです。
しかし、極めて象徴的なShureマイクロホンの外観を作り出したのは、インダストリアルデザインの訓練を受けていないジェリー氏でした。 1974年11月、イリノイ州モートングローブのジェラルド・W.・プライスの「マイクロホン」に、米国意匠特許233,669号が発行されました。
テーマのバリエーション
Shure Unidyne IIIカートリッジは、SM57、SM58®、SM7など、多くのShureムービングコイル式ダイナミックマイクロホンのエンジンです。しかし、SM7カートリッジの設計にはいくつかの重要な違いがあります。
放送やナレーション用に設計されたマイクロホンとして、SM7のダイアフラムは、より薄く、より柔軟に設計することにより、低音レスポンスを向上させるように最適化されています。SM7のハウジングは、カートリッジの背後の空気容積をより大きくし、声に優しいローエンド・レスポンスを拡大する構造になっています。
出力レベルを増強するために、音声コイルでは、直径が小さいワイヤを採用しており、巻き数はSM57やSM58の音声コイルの3倍です。 より薄いダイアフラムとより重い音声コイルは、SM7の固有共振周波数に影響を与えます。これらの要素がすべて組み合わされて、ボイスオーバーアーティストに好まれる、豊かな低音レスポンスを実現しています。
特別な周波数スイッチ
他の多くのボーカルマイクロホンより優れたSM7の特長の1つが、調整可能な周波数フィルタースイッチです。このフィルターは、A15シリーズのアダプターにインスピレーションを受けたものです。
1969年、Shureは問題を解決するために、A15シリーズという名前の6つのインラインオーディオアダプターを発売しました。 SM7の筐体をより大きくすることにより、2つのA15の機能を搭載することが可能になりました。
- A15HP(ハイパス)フィルターにより、300 Hzより低音域を減衰させます。
- A15RS(レスポンスシェーパー)により、1,000 Hzより高音域を減衰させます。
SM7のリアパネルにある2つのスライドスイッチにより、対応するA15HPおよびA15RS回路を有効または無効にできます。必要に応じてスイッチを隠すための金属カバープレートも付属しています。 これにより、マイクロホンは、フラット、低音域ロールオフ、プレゼンスブースト、低音域ロールオフ / プレゼンスブーストという4つの異なる周波数特性曲線を持つことになります。
この機能により、放送局はマイクロホンの周波数特性を、特定のアナウンサーやボイスオーバータレントのボーカル特性に合わせることができるようになりました。
SM7Bの周波数特性設定の違いを聴いて確かめるには、この「Twenty Thousand Hertz 」ポッドキャストエピソード(英語)のオーディオサンプル(10:24頃)をご確認ください。
ターゲット市場の進化
レコーディングエンジニアに向けたこの広告は、当時のトップ40ヒットである、The Dramaticsの「Whatcha See is Whatcha Get」からそのヒントを得ました。この広告メッセージは、「今までに見たことのないもの」である視覚的に識別できる周波数特性の調整、および4通りの周波数フィルターに焦点を当てたものでした。
ブーム取り付けとスタンド取り付けで示されている、Shureのプロフェッショナル用製品カタログには、SM7は「7年間にわたってレコーディングやスコアリングの現場でテストされた、これまでで最高のプロフェッショナル用 単一指向性ダイナミックマイクロホンです」と記載されていました。 レコーディングエンジニアは同じ意見だったかもしれませんが、売り上げ実績は横ばいでした。
別の印刷広告では、国内のほとんどすべてのラジオ局がShureのマイクロホンを使用していることを示唆していました。 1970年代、米国には民間のラジオ局が約2,000局あったため、これはせいぜい希望的観測に過ぎませんでした。もし、すべてのラジオ局がSM7を保有していたとすれば、SM7は売り上げチャートのトップになっていたことでしょう。
1980年までに、SM7の使用範囲はラジオ局とレコーディングエンジニアの域を超えることはありませんでした。 SM7は、レコーディングエンジニアの間の最大の秘密のままであり、その革新的な特性にも関わらず、SMマイクロホンラインアップの中で低迷し続けました。
当時と現在
1973年にSM7が発売された当時、米国での小売価格は257ドルであり、これは現在の米ドルに換算すると1,741ドル相当です。現在、SM7Bのメーカー希望小売価格は1,741ドルではなく、わずか399ドルです。
その長い歴史の中で、材料や製造上の変更があった一方で、性能も向上しました。SM7は1999年にSM7Aに取って代わられ、コンピューターのモニターのノイズに対抗するため、より効率的なハムバッキングコイルを採用しました。そして、2001年にはSM7Aに代わってSM7Bが登場し、より大型のアクセサリーウィンドスクリーンが追加されました。
ソーシャルメディアのインフルエンサー
SM7Bは、伝説的な地位になるほどの人気と話題を獲得しました。マイクロホンの愛好家であれば、オーディオ機材のフォーラムにアクセスした際に、SM7Bに関する生き生きとした、時には敬意を持ったコメントのページを読むことができるはずです。また、多くのYouTube動画でもよく取り上げられているマイクロホンでもあります。
Shure SM7に関するジョークスレッドには、こういった書き込みまであります。
「正しいか・間違っているかを教えてくれる頭の中の天使と悪魔。 実はその声は、SM7Bで録音されたものだったのです。」
「しっかりとマイクの正しい位置を把握できれば、SM7Bで未来すら録音できる。」
明るい未来
1973年から2008年まで、SM7はベストセラーとまではいきませんでしたが、十分に売れ続けていました。
1980年代には、レコーディングエンジニアであるブルース・スウェディエン氏が『Thriller』において、マイケル・ジャクソンのボーカルにSM7を使用したことに関連して、売り上げが少し伸びたことがありました。しかし、売り上げが急増したのは、ポッドキャスターがSM7Bを発見した、それから約25年後のことでした。それ以来ずっと、売り上げは増加を続けています。
登場から50年経った今、SM7Bはエンジニア、パフォーマー、コンテンツクリエイター、ブロードキャスト、ゲーマー、ストリーマーの間でかつてないほどの人気を得ています。販売本数は1970年代のレベルの何倍にも達しており、Shureのベストセラーマイクロホンの1つになっています。
SM7Bは50年の時を経て、遂に相応の評価を受けるようになりました。
1人のユーザーが決定的な意見を述べています。「私は36年間ラジオ局で働いていましたが、今まで使用した中で最高のマイクロホンはShure SM7です。 それに近いものは他にありませんでした。」